震災後の政府の対応にはほとほと呆れていました。
原発の情報公開の不備。嘘。
不安を増強させるだけの無知。
大学院時代に放射線同位元素を用いて実験をさせていただいたり、
診療で放射線を使わせていただいているものからすれば失笑しかない。
そして本日の民主党の茶番劇!
呆れるばかり。
政治家の言葉の責任ってどこにあるのでしょう?
舌の根も乾かないうちに言ったことを覆し、被災者や避難者の苦悩もさておき
安堵の笑みを浮かべる政治家のお偉いさん達。
あそこまで勝手ができるってある意味素晴らしい人格と思いました。
管さんは復興がどこまで進んだらやめるの?皆がもとの生活に戻るまで? アホか!
小沢さんは振り上げた拳についてきた部下を見殺しにして敵前逃亡! 卑怯政治家!
鳩山は、何言ってるんだかわからない。政治家やめるって言ったのに未だに虚言癖政治家!続行?
国の最高機関の国会。会議中に発言者無視して議場を歩き回って票固め、説得、野次!
小学校や中学校の学級崩壊を問題視して物申す前に偉そうにしたいなら自分の態度を直せ
ただただ呆れて、ガッカリ、腹立たしくて
どうしたらあの人達に思い知らせることできるのかな?
無理だろうな~
嘘と茶番で誤魔化されて、増税されて・・・虚しい!
被災地の方々の怒りはいかばかりか
震度5強の余震ってなんでしょう。
楽しく、あめトーーク見ていたら地震警報・携帯もけたたましく鳴り、
次の瞬間、下から"ドッンーーー"
慌てて2階で寝ている娘のもとに階段を駆け上がっていく。
途中、早くも停電。
娘は何事もないように"すやすや"ほっと一安心。
情報収集に携帯取り出し夫婦ともに知人にメール、ワンゼクでテレビ。
だって携帯の充電器買ったもん(車からの!)楽勝!
っん?と次の瞬間意味のないことに気がついた。車庫のシャッターが電動。
停電だから車には乗れない。充電できない。車庫に入れない。
今回は移動方法すらない。
あれから4週間後にまたまた電気のありがたさを痛感しました。
被災地の方々のためにも余震はもう止まってくれ!
唐桑は7日の昼に停電解除になったらしい。停電期間27日間
その日の夜にまた停電になったとのこと。それはあんまりだ。辛すぎる!
がんばれニッポン!陽はまた昇る!
彼の家が近づくとその恐ろしさが目に飛び込んできます。
高台の家は何事もなかったのような外観。
低い海沿いの所にくれば何も残っておらず。まさに運命の境界線を見せられた気がします。
彼の家は幸いにも高台の所、しかし20m先の坂の下はまさしく瓦礫の街になっておりました。
車がやっと通れるほどの瓦礫をぬって彼のもとに、
笑顔でした。
泣きたくなるほど嬉しく、堪えながら"生きてた~かぁ~"
まだ電気は通じず、寒い中、家族7人、ストーブのある部屋に集まっての生活。
お邪魔させていただき、状況を聞けば聞くほど、どう励ませばいいのか言葉を失いました。
ただ、2人の5歳3歳のお子さんたちの笑顔が、家族の辛さを流してくれていたように見えました。
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無理のないよう、体を壊さないよう休みながら、甘えながら
皆、頑張れ!がんばれ!
向かう道に差し込んできた朝日を見てそう思いました。
陽はまた昇る。必ず昇る!
連絡はとれたものの、どうしても心配だった剣道部の先輩後輩親子の唐桑半島
ここの物資や燃料制限も若干少なくなっていたので何かできるか分からないが、見舞いに行ってみた。
一関インターを下りて気仙沼に向けて進む。
全くの日常。途中、普段通りの朝の日課でしょう。おばあさんが鍬を持って畑に行く姿。
気仙沼近づいても、全くの日常。
途中自動車ディーラーの大きなガラスが壊れたらしい店が2~3件あったほどでした。
本当にテレビに映し出されていた地震があったのか?夢ではないだろうかと思うほどでした。
一変したのは、気仙沼のバイパスでしょうかトンネルに差し掛かった時、トンネルに明かりがない。山の中に真っ暗な半円が、そこに車を突っ込んでいくしない。
まるでブラックホールに自ら落ちていくようです。
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そのトンネルを抜けた途端、絶句、どう表現すればいいのでしょう。
ことばではいえないほどの街並み、津波に壊され、追い打ちをかける火災
大型スーパーの脇に船が打ち上げられ車が無残に!
これから向かう、その先の半島の状況は想像できませんでした。
10年前に剣道の合宿で伺い、夜遅くまで飲み明かした町は消失しておりました。
頑張りました。
今日で娘は小学2年生終了。
驚きは、何のかんので無欠席の皆勤賞!
風邪・腹痛などなど多少はあったとは思いますが休まず
学校になんか行きたくない日もあっただろうに
偉い!偉い!
朝遅いと怒られても、雨が降っても、雪が降っても行きました。
たまには、やさしいお母さんに送ってもらい。
父には、歩け!走って行け!と怒鳴られたりしても頑張りました!
最後の今日はクラスの代表になり校長先生から直接終了証書をもらい。
無事に2年生修了です。通信簿の成績は・・・
頑張りました。
電気・水道のありがたさを痛感して地震の状況が解るにつれ
背筋の凍るほどの映像が連続して流されている。
そして、ここよりも震源地に近い知人が心配になる。
大学の先輩方、剣道をともにした方々。
特に、被害が大きく報じられている気仙沼と陸前高田の間に位置する唐桑半島にいる剣道部の後輩そのご家族、彼のお父様は同窓の剣道部のOBでもあります。
携帯・メール・自宅・診療所 くまなく連絡してもつながらない。情報がない。
映像を見ると絶望的な、そして最悪の結果を覚悟させられました。
青森・福島とは日曜日に、仙台市や古川の知人とは発生から3日目の月曜日にやっと連絡がついた。
やはり唐桑の家族が・・・
そこは、10年ほど前に大学の剣道部の合宿を行い、東北の剣道部OBも行ったことがあり、皆の思いはつのってました。
彼に連絡が取れない全国の剣道部の面々からも多数の問い合わせ。
"山の上だったから大丈夫でしょう!"祈る思いで皆が彼からの連絡を待った。
そして5日目の水曜日の昼頃、診療の合間に携帯にメール
"皆無事、頑張ってます"
初めてメールで寒気がして、泣きました。
連絡を待っているだろう問い合わせした方々にメール、電話。
声聞いて、"よかった"という返答が皆涙声。またまたもらい泣き。
復興は大変だろうけど頑張れ!
何ができるかは解らないけど、すっかり落ち着いたら、学生時代のときのように
朝までとことん飲もう!ベロベロになるまで、しこたま飲もう!
しかし、一方で家族や家、友達を失ってたり、いまだに生活がままならない方々が何万といる現実もあります。
亡くなった方のご冥福と被災地の方々が早く日常生活を取り戻し、笑顔になることを祈念しております。
皆、頑張れ!
その時はついに、そして突然やってきました。
真っ暗な中での夕食を終え、一日中屋内にいてストレスたまった父娘で
外の暗さを見に行こう!探検!探検!
暗いところが嫌いな怖がりの娘に大きな懐中電灯持たせ、通りに出てみる。
普段は車通りが多く、看板や街灯で明るい街が真っ暗。
懐中電灯を消し、暗さを確認させ、月の明るさや星の多さに二人で感激し、
やっと目が慣れてきて、"月の明かりもきれい"なんて言っていた時でした。
一瞬何が起きたか分からず、2人顔を見合わせ!!!
"ついた~"の大騒ぎ。
門燈、街灯が点灯、停電解消、復旧の第一歩です。
2人の雄叫びは、近所に響いたことでしょう。
電気の素晴らしさが、身に浸みました。ありがたかったです。
まずは暖房、携帯に充電、盛岡・東京の兄弟に電話
県内の親戚に連絡とり、一安心でした。
水道も復旧、どうにかこうにか日常生活への回復です。
あまりの寒さと前日に早く就寝したため、そして余震のため早くの目覚め。
電気がつくかとスイッチ押しても無反応!
断水でトイレも流れず!娘は初めてだろう冷え切った便座で"冷た~い"の悲鳴
ちょっと笑ってしまった。
巨大地震の映像見たのは、実家にあった号外が初めてだった。
あまりの悲惨な状態に絶句!
岩手・宮城・福島には親戚や同窓の知人、そして大学の部活でいつも一緒にいた先輩、後輩が!
いくら連絡しても不通。心配!
公衆電話から相手先が停電でなければ連絡が取れることを知り、
近くのスーパーで千葉のかみさんの実家、東京の兄家族に連絡、
その他は連絡とれず、東北地方はどこもダメ。
不安ばかりがつのり、イライラ!
娘も恐怖と親のいららいらが解ってかイライラ!
2人でぶつかること多々。
その後、耐える娘を見て反省しきりでした。
食料品や不足のものを買いに、頑張って開けてくれているスーパーに。
真っ暗な中、一家族に店員一人づつ付いてくれて、買い物。
もちろんレジは動かないので、卓上計算機で会計。
自分の家も大変な中、ほんとにありがたく、
それでも待たせて並んでいるお客さんに謝る定員さんに涙が出るほどでした。
市役所で給水中との情報に、出向けば役所の方々が情報収集や種々のケア。
携帯電話の充電もしてくれた。ありがたい。
41年会の同級生が、我が家のことは後回しに休みなく働く姿に脱帽!
少し話をさせてもらい、私も何かスッとした。
"明日には水も電気もどうにか回復するよ"その情報にも励まされた。
パンや冷凍してあったご飯をガスコンロで解凍して、
実家から借りてきた石油ストーブで暖をとりながら
電気のありがたさを痛感ながら、真っ暗な中での夕食。
その時は近付いておりました。
3月11日の昼寝終了間際携帯から耳慣れないアラーム音
訳も分からず、起きてみると家が軋み、
リビングの照明は天井にぶつかるほどの揺れ、
すぐに収まるだろうと思っていたら、続く続く果てしなく!
立っているのもやっと、
診療室に来てみればすでに、停電!
町の機能は完全に停止してしまっていた。
高校2年生の時に経験した日本海沖地震以来の大地震経験。
以降、情報は娘が祖父にもらったちっちゃい携帯のラジオのみ。
携帯電話は非常時のために利用を控え、その他はすべてstop!
かみさんは恐怖をこらえ娘を迎えに!
娘は友達と号泣したらしい!
痛みを訴えてきた患者様には鎮痛剤を処方するしかできない。
全く無力
実家には父親一人。母は外出中。
娘が帰ってきたのを確認して、実家に向かえば、信号消えて渋滞中。
真っ暗な中、ラジオに耳を傾ける父と近所を見回ってきて帰ってきた母を見て一安心。
実家は、落ちた壁掛け時計が壊れ、仏壇の花瓶倒れた程度ですんでいた。
ラジオでの情報ではよく解らず、秋田県付近の震源の大地震と思い
真っ暗な中でかみさん娘と3人で、暖房がない家で夕食をとり、余震におびえながら
東日本で起きている大地震の全貌を知らず、就寝に至りました。


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